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 伝統の職人技 琉球王朝時代の三線を復刻

2007年02月21日

07022110.jpg 三線専門店のまちだ屋(沖縄県中頭郡、町田 宗男代表)は、琉球王朝時代の名器、開鐘(ケージョー)を復刻した。琉球王朝時代の開鐘とは、三線製作者の間では幻の名器と云われた三線。製作者の間では、知られているところではあったが、これの復刻となると今までハードルが高くできないとされていた。
 名器の復刻で難しい所は、型と音の復刻。型の復刻にはいろんな点で時間が掛かったが、実際にわずかであるが戦火を逃れ残っている実物や資料を見て研究できる。しかし、音の復刻となると極めて難しい。100パーセント当時の原型のままの、現在も演奏できる三線(開鐘)がない。また、音の記録を持っている人はほとんど無く、その復刻には非常に時間がかかる。
 そこで、町田宗男が目指したのは、琉球王朝時代に王様が開鐘(時を告げる鐘)の音と三線の音を間違え開鐘と名づけられた説からヒントを得て、男弦(低音の弦)を鐘の音に近づける研究をすることにした。しかし当時の三線は、現代の三線より棹がかなり細い。現代の太い棹の三線でも鐘の音に近い低音が出せないのに、どうすればその音を作れるか研究に励んだ。そこで現代の弦と当時の弦の違いをある文献から、王朝時代の三線には、絹糸を使用していたことが分かった。そこから町田宗男は、いろんな壁にぶつかりながらも、1年を掛けて三線用の絹糸を三味線の絹糸メーカーと共同開発し、これに成功した。
 開鐘がこのような形で復刻されたことは、単に形影文化財を一挺復刻することではなく、沖縄の三線好きの方々に普通に使ってもらおうというから取り組んだものだった。
 そのため復刻には、一挺の非常に高い開鐘を作ることから始まり誰でも手にしてもらえるものにするというところにも大変苦労があった。町田宗男は「開鐘の復刻で沖縄の三線の流れは変わるかもしれません。誰もが開鐘に手をだされるとは思いませんが、三線にある程度親しみ、より満足のいく三線となるとこれからは開鐘を選ぶという時代になるかもしれませんね。ただ元々は、琉球王朝時代からあった名器です。それが現代に復刻できたことを非常に喜びと思っています」と語っている。詳しくは開鐘屋TEL:098-877-3050、またはメールで問い合わせ。
 

 

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